昭和天皇の発言メモ騒動

朝日新聞社

A級戦犯合祀 昭和天皇の重い言葉
 東条英機元首相ら14人のA級戦犯靖国神社に合祀(ごうし)されたのは、78年のことである。戦後も8回にわたって靖国神社に参拝していた昭和天皇は、合祀を境に参拝を取りやめた。
 その心境を語った昭和天皇の言葉が、元宮内庁長官の故富田朝彦氏の手で記録されていた。A級戦犯の合祀に不快感を示し、「だから私あれ以来、参拝していない、それが私の心だ」とある。
 昭和天皇靖国神社への参拝をやめたのは、A級戦犯の合祀が原因だったことがはっきりした。
 合祀に踏み切った靖国神社宮司の父親は松平慶民宮内大臣だった。メモには、その名を挙げ、「松平は 平和に強い考(え)があったと思うのに 親の心子知らず」という言葉がある。
 A級戦犯が合祀されているところに参拝すれば、平和国家として生まれ変わった戦後の歩みを否定することになる。昭和天皇はそう考えたのだろう
 天皇個人としてという以上に、新憲法に基づく「国民統合の象徴」として、賢明な判断だったと思う。しかも、中国などが合祀を問題にする前の主体的な判断だったことを重く受け止めたい。
 戦前、天皇は陸海軍の統帥者だった。自らの名の下に、多くの兵士を戦場に送った。亡くなった兵士の天皇に対する気持ちは様々だろうが、昭和天皇靖国神社に赴き、戦没者の魂をなぐさめたいと思うのは自然な気持ちだろう。
 しかし、戦争を計画、指導した軍幹部や政治家らを一緒に弔うとなると話は別だ。そう考えていたのではないか。
 メモには「A級が合祀され その上 松岡、白取までもが」と記されている。日独伊三国同盟を推進した松岡洋右元外相と白鳥敏夫元駐イタリア大使への怒りもうかがえる。
 A級戦犯の合祀に対し、昭和天皇がかねて不快感を示していたことは側近らの証言でわかっていた。
 それなのに、昭和天皇靖国参拝をやめたのは合祀が原因ではないとする主張が最近、合祀を支持する立場から相次いでいた。
 75年に三木武夫首相が私人として靖国参拝をしたことを機に、天皇の参拝が公的か私的かが問題になったとして、「天皇の参拝が途絶えたのは、これらが関係しているとみるべきだろう」(昨年8月の産経新聞の社説)という考えだ。
 こうした主張にはもともと無理があったが、今回わかった昭和天皇の発言は、議論に決着をつけるものだ。
 現在の天皇陛下も、靖国神社には足を運んでいない。戦没者に哀悼の意を示そうにも、いまの靖国神社ではそれはかなわない。
 だれもがこぞって戦争の犠牲になった人たちを悼むことができる場所が必要だろう。それは中国や韓国に言われるまでもなく、日本人自身が答えを出す問題である。そのことを今回の昭和天皇の発言が示している。
http://www.asahi.com/paper/editorial.html#syasetu1

さて、なぜこの時期にこの内容のメモが出てきたんでしょうかね。
福田人気が下がってきたために、靖国神社参拝をする安倍氏を叩くネタとして昭和天皇を出してきたとしか思えません。
もう、安倍首相誕生を阻止しようと必死なのが見え見えですね。

2006年2月2日 
朝日新聞社説より
寛仁さま 発言はもう控えては
 皇位継承のあり方をめぐり、天皇陛下のいとこにあたる寛仁(ともひと)さまの発言が相次いでいる。
(中略)
 寛仁さまの発言は、この報告書や首相の方針に異を唱えるものである。
(中略)
 しかし、今回の一連の寛仁さまの発言は、皇族として守るべき一線を超えているように思う。
(中略)
 たとえ寛仁さまにその意図がなくても発言が政治的に利用される恐れがある。それだけ皇族の影響力は大きいのだ。
 天皇は日本国民統合の象徴だ。国民の意見が分かれている問題では、一方にくみする発言は控えた方がいい。これは皇族も同じである。
(中略)
 寛仁さまひとりが発言を続ければ、それが皇室の総意と誤解されかねない。そろそろ発言を控えてはいかがだろうか。

以前の社説で、朝日新聞は「皇族は黙れ!」と言っています。
それなのに、なぜ今回は昭和天皇の発言を元にして、靖国神社参拝を反対するのでしょうか?
都合の悪い発言には「黙れ!」と言い、都合の良い発言には「発言を尊重しろ」と言う。
これをダブルスタンダードと言います。
その場で言うことがコロコロかわる人は、信用されないのが普通ですよね?


とあるブログからの抜粋

天皇陛下が「国旗国歌の強制は良くないですね」と発言されたら、「ほらほらほら!!天皇も良くないって言ってるよ!!!」と騒いだのも朝日新聞
皇室のあり方について寛人さまが発言されれば、「てめえは黙ってろや!!!!」と恫喝したのも朝日新聞
で、今回のメモで「ほらほらほら!!!天皇A級戦犯は良くないってよ!!」と喜んでるのも朝日新聞

朝日新聞の「ジャーナリスト宣言」の中身なんて、こんなもんですわ。



ネットであげられている、今回のメモの疑問点
1.「昭和天皇と交わされた会話を日記や手帳に克明に書き残していた。」のになぜかこの部分は手帳に貼り付けてあった。
2.「だから私はあれ以来参拝していない。」
  天皇陛下は75年(三木首相私人参拝)から参拝していないのに、「私はあれ(3年も後の78年のA級戦犯合祀)以来参拝していない」では辻褄が合わない。
3.あったとされる「発言」が合祀から十年後の昭和63年(1988年)の四月。崩御の前年。
4.天皇陛下が自分の(個人的な)意思で参拝したり、参拝を取りやめたりすることはそもそもできない。それをできると思うのは、外国人か日本の官僚機構を知らない人達。
5.何故、毎年、天皇陛下はABC級戦犯も追悼の対象となっている全国戦没者追悼式に毎年参列して、御言葉も述べているのか。
6.一部記事中の白鳥を白取と誤字。普通間違えるか?てか、『藤尾(文相)の発言』じゃないの?
7.論理構成、概念が中国共産党にあまりに都合が良すぎるステレオタイプのような文章。「平和に強い考え」?何それ?中国共産党の影響力の強い旧社会党社民党がいかにも使いそうな言葉。
8.「松平の子の今の宮司がどう考えたのか、易々と。」「筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが」
78年ならまだしも、合祀から10年経った88年に語ったとするとあまりに不自然な発言。
9.当時の侍従長A級戦犯の合祀に大反対だった、徳川義寛氏の発言と考えれば、内容はすべて辻褄が合う。
  http://www.tv-asahi.co.jp/n-station/cmnt/shimizu/2001/0816num90.html
10.勅使は陛下の私費で現在まで靖国神社に派遣されている。
11.日記のページは黄色く変色しているにもかかわらず、メモ自体の保存状態が極めて良好(紙が真っ白)。
12.ブルーインクで書かれた文字が、経年劣化で退色したりかすれたせず、綺麗なままである点。



ジャーナリストが本来するべきことは、このメモの信憑性について確かめることです。
その上で、本物だと確信できるだけの証拠を揃えてから今回の一連の報道をするべきでは無いでしょうか。