今日の朝日新聞

言論の覚悟 ナショナリズムの道具ではない
 教育基本法に「愛国心」が盛り込まれ、防衛庁が「省」になることも決まった日の夜だった。
 「キミには愛国心がないね」
 学校の先生にそうしかられて、落第する夢を見た。
 いわく、首相の靖国神社参拝に反対し、中国や韓国に味方したな。
 卒業式で国旗掲揚や国歌斉唱に従わなかった教職員の処分を「やりすぎ」だと言って、かばったではないか。
 政府が応援するイラク戦争に反対し続け、自衛隊派遣にも異を唱えて隊員の動揺を誘うとは何事か。
 自衛隊官舎に反戦ビラを配った者が75日間も勾留(こうりゅう)されたのだから、よからぬ記事を全国に配った罪はもっと大きいぞ、とも言われた。「そんなばかな」と声を上げて目が覚めた。
 月に一度のこのコラムを書いて3年半。41回目の今日でひとまず店じまいとしたいのだが、思えばこの間、社説ともども、小泉前首相や安倍首相らに失礼を書き連ねた。夢でよかったが、世が世なら落第どころか逮捕もされていただろう。
    ◇
 「戦争絶滅受合(うけあい)法案」というのを聞いたことがあるだろうか。
 条文を要約すれば、戦争の開始から10時間以内に、国家の元首(君主か大統領かを問わない)、その親族、首相や閣僚、国会議員らを「最下級の兵卒として召集し、出来るだけ早くこれを最前線に送り、敵の砲火の下に実戦に従わしむべし」というものだ。
 いまならまずブッシュ大統領に読んでもらいたいが、長谷川如是閑(にょぜかん)がこの法案を雑誌『我等(われら)』で書いたのは1929年のこと。第1次世界大戦からしばらくたち、再び世界がキナ臭くなり始めたころである。
 デンマークの陸軍大将が起草して各国に配ったという触れ込みだったが、それはカムフラージュの作り話。「元首」と「君主」は伏せ字にしてきわどく検閲をパスした。
 それより11年前、日本のシベリア出兵や米騒動をめぐって寺内正毅内閣と激しく対決した大阪朝日新聞は、しばしば「発売禁止」の処分を受けた。さらに政府糾弾の集会を報じたところ、記事にあった「白虹(はっこう)日を貫けり」の表現が皇室の尊厳を冒すとして筆者らが起訴され、新聞は廃刊の瀬戸際に立たされた。ついに大阪朝日は村山龍平社長らが辞職して謝罪し、政府に屈することになる。
 これが「白虹事件」である。かつて「天声人語」の筆者でもあった如是閑は、このとき大阪朝日の社会部長だった。言論の敗北に無念を抱きつつ退社して『我等』を創刊したのだ。
    ◇
 こんな古い話を持ち出したのも、いま「言論の自由」のありがたみをつくづく思うからにほかならない。現代の世界でも「発禁」や「ジャーナリスト殺害」のニュースが珍しくない。
 しかし、では日本の言論はいま本当に自由なのか。そこには怪しい現実も横たわる。
 靖国参拝に反対した経済人や天皇発言を報じた新聞社が、火炎ビンで脅かされる加藤紘一氏に至っては実家が放火されてしまった。言論の封圧をねらう卑劣な脅しである。
 気に入らない言論に、一方的な非難や罵詈雑言(ばりぞうごん)を浴びせる風潮もある。それにいたたまれず、つい発言を控える人々は少なくない。この国にも言論の「不自由」は漂っている。
 私はといえば、ある「夢想」が標的になった。竹島をめぐって日韓の争いが再燃していた折、このコラムで「いっそのこと島を韓国に譲ってしまったら、と夢想する」と書いた(05年3月27日)。島を「友情島」と呼ぶこととし、日韓新時代のシンボルにできないか、と夢見てのことである。
 だが、領土を譲るなどとは夢にも口にすべきでない。一部の雑誌やインターネット、街宣車のスピーカーなどでそう言われ、「国賊」「売国」「腹を切れ」などの言葉を浴びた。
 もとより波紋は覚悟の夢想だから批判はあって当然だが、「砂の一粒まで絶対に譲れないのが領土主権というもの」などと言われると疑問がわく。では100年ほど前、力ずくで日本に併合された韓国の主権はどうなのか。小さな無人島と違い、一つの国がのみ込まれた主権の問題はどうなのか。
    ◇
 実は、私の夢想には陰の意図もあった。日本とはこんな言論も許される多様性の社会だと、韓国の人々に示したかったのだ。実際、記事には国内から多くの共感や激励も寄せられ、決して非難一色ではなかった。
 韓国ではこうはいかない。論争好きなこの国も、こと独島(竹島)となると一つになって燃えるからだ。
 そう思っていたら、最近、発想の軟らかな若手学者が出てきた。東大助教授の玄大松(ヒョン・デソン)氏は『領土ナショナリズムの誕生』(ミネルヴァ書房)で竹島をめぐる韓国の過剰なナショナリズムを戒め、世宗大教授の朴裕河(パク・ユハ)氏は『和解のために』(平凡社)で竹島の「共同統治」を唱えた。
 どちらも日韓双方の主張を公平に紹介・分析しているが、これが韓国でいかに勇気のいることか。新たな言論の登場に一つの希望を見たい。
 日本でも、外国の主張に耳を傾けるだけで「どこの国の新聞か」と言われることがある。冗談ではない。いくら日本の幸せを祈ろうと、新聞が身びいきばかりになり、狭い視野で国益を考えたらどうなるか。それは、かつて競うように軍国日本への愛国心をあおった新聞の、重い教訓ではないか。
 満州へ中国へと領土的野心を広げていく日本を戒め、「一切を棄つるの覚悟」を求め続けた石橋湛山の主張(東洋経済新報の社説)は、あの時代、「どこの国の新聞か」といわれた。だが、どちらが正しかったか。
 最近では、イラク戦争の旗を振った米国のメディアが次々に反省を迫られた。笑って見てはいられない。
 だからこそ、自国のことも外国のことも、できるだけ自由な立場で論じたい。ジャーナリズムはナショナリズムの道具ではないのだ。
    ×    ×
 このコラムは終わりますが、今後も折に触れて紙面でお目にかかります。「風考計」の連載分は来春、朝日新聞社から出版される予定です。
http://www.asahi.com/column/wakamiya/TKY200612250160.html

>気に入らない言論に、一方的な非難や罵詈雑言(ばりぞうごん)を浴びせる風潮もある。それにいたたまれず、つい発言を控える人々は少なくない。
まずは、鏡を見てみたらいかがかな?w
今まで、一方的に紙上で非難してきて、反論は無視してきたのは朝日新聞だろ?
今まで特定アジアの一方的な非難や罵詈雑言を浴びせられて発言を控えてきたのは、日本だ!!
インターネット上で『一方的』な非難をしているのはサヨクたち。自分の主張だけ書いて、コメント欄封鎖をしているのを多く見かける。コメント欄があったとしても、反論には一切無視しているのもよく見かける。
いわゆる『ネットウヨク』と言われる人間は、コメント欄も開放し、議論が行えるようにしていることが多い。
『一方的』が嫌ならば、ネットでブログを開設して、コメント欄も開放してみろよ!!


加藤紘一氏に至っては実家が放火されてしまった。言論の封圧をねらう卑劣な脅しである。
朝日新聞の9月1日の記事から

『容疑の右翼「閑職、死に場探していた」 加藤氏実家放火 』
県警の調べに対し「(所属していた右翼団体で)閑職となり、死にたいと思った」と供述していることが31日、分かった。さらに「借金もあった。当時発言が目立っていた加藤氏の自宅で死ねば、右翼らしいと思った」と話している。

はて?どこが言論の封圧なんですか?
自分で書いておいて忘れてしまうなんて、朝日新聞もボケが進行していますねww


扶桑者の教科書問題のとき、中核派の隠れ蓑になっている市民団体が行った言論弾圧・テロ行為については全く報道しませんでしたよね?新しい歴史教科書をつくる会事務所も放火にあったんですが、これも言論弾圧ですよね?朝日さん^^


言論封圧の事例↓
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/education/30838/


>日本とはこんな言論も許される多様性の社会だと、韓国の人々に示したかったのだ。
朝日新聞はどこの国の新聞なんだ?w
韓国には言論の自由が無いから、日本はすばらしいと教えてあげたかったのか?
韓国人に読ませたいなら、韓国に本社を移転しろよwww


>日本でも、外国の主張に耳を傾けるだけで「どこの国の新聞か」と言われることがある。冗談ではない。
『外国の主張』じゃなくて、『特定アジアの主張』だろ?
特定アジアの主張『だけ』に耳を傾けたら、「どこの国の新聞か」なんて言われるのは当然だろw


>では100年ほど前、力ずくで日本に併合された韓国の主権はどうなのか。小さな無人島と違い、一つの国がのみ込まれた主権の問題はどうなのか。

日韓併合条約とは・・・1910年(明治43)8月22日に漢城寺内正毅統監と李完用首相が調印、29日に裁可公布して発効した。「韓国皇帝が韓国の統治権を完全かつ永久に日本国天皇に譲渡する」ことなどを規定した条約。

双方の国の代表が正式に調印した日韓併合と、韓国人が不法に占拠している竹島を同一視するなんて、バカじゃねえの?
こんな主張が通るのであれば、王朝を滅ぼされて日本に亡命した百済の人々の主権はどうなるのでしょうか?



朝日新聞社の断末魔の叫びでしょうか?
実際の購読部数は、すごい勢いで減っているらしいですね^^